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 (JUGEMレビュー »)
オルハン・パムク, 和久井 路子
1990年代初頭、トルコ北東部の地方都市カルス。雇われ記者の詩人Kaは、イスラム過激派によるクーデター事件に遭遇し、宗教と暴力の渦中に巻き込まれ…。世界40か国語に翻訳され、各国でベストセラーとなった超話題作。
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トルコ〈2006~2007年版〉
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「地球の歩き方」編集室
目次

一目瞭然よくわかるトルコの魅力
イスタンブール
イスタンブール近郊
エーゲ海、地中海沿岸
中部アナトリア
南東部、東部アナトリア
黒海沿岸
旅の準備とテクニック
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100リラのシトロン―トルコのむかしばなし
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八百板 洋子, 太田 大八
むかし、トルコに3人の兄弟が住んでいました。2年間、一生懸命働いて貯めたお金で買った魔法の鏡、空飛ぶ絨毯、不思議なシトロンを持ってお姫様に結婚を申し込もうとするのですが…。
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三十一年間パンを焼き続けている婦人
 

 何事も三十年間ぐらいやり続けなければ、その領分を熟知したとは言い難い。ダーダネルス海峡にのぞむチャイナッカレ市近郊のチャンという村のアイシェ・ベジェレンさんは30年間以上パンを焼く続けたのだから立派だ。今でも焼き続けていれば50年間ぐらいになるから、日本流に言えば無形文化財級ではないか。

 自分自身も30年間ぐらい取り組んできたことがあるか自問自答してみる。なにごともチャランポランに食い散らかしてきた人生のように感じることもあるが、不思議なことにホジャ話を中心とするトルコ民話の世界とは三十年間ほど向き合ってきたから、多少の薀蓄を語ることはできるかもしれない。どういうわけか、今年になってから、常陽新聞(茨城県で発行されている日刊紙)に『トルコ民話紀行』と題するコラムを連載する機会を与えられて、現在続行中。結局、人生なんてそんなもので、長い間地道に努力していることしか、世の中は相手にしてくれないものらしい。三十年ほど前に、仕事で失敗して失意・落胆、半分ふてくされていた時に偶然ホジャ話と出会って、その乾いたユーモアが私の心を励ましてくれた。五年半ほど前にかみさんが心臓病で急逝して、またしても失意・落胆の境地をさまよったが、ふたたびホジャさんに励まされながら、ライフワークとなったトルコ民話の研究を続けている。私にとってホジャ話と向き合うことは、アイシェ・ベジェレンさんがパン焼きのかまどに向き合うのと同じことだ。

 日本人には欧米崇拝の心理と、非欧米的な文化に対する蔑視や無関心という傾向が色濃くある。トルコ民話の多様性と奥深さはグリムの世界に勝るとも劣らないのに、まだほとんどの人はそれに気付いていないから、自分がなすべき課題も山積している。

| トルコ文化研究所及びこのサイトについて | 12:49 | comments(0) | - | pookmark |
逆マニフェストのお薦め
 

ギリシャの様子などを見ていると、政党と選挙に基づく議会制民主主義の限界性に気づかされる。金融・財政・経済・政治が国家の枠組みを超えて国際的なシステムに組み込まれてしまった結果として、こうした現象が生じているのだろう。議会制民主主義は自由社会の生命だが、グローバライズしつつある現代社会における国家単位の議会制民主主義の限界性については、十分に考察しておかねばならないのではないか。

 日本の政治も、ギリシャと多少似たところがある。日本の場合は金融・財政・経済・政治に加えて軍事まで国際的なシステム(日米安保体制)に組み込まれているので、ある意味ではギリシャよりもっと大きな足かせをはめられているようなものだ。沖縄問題について国民的なコンセンサスが形成できないのは、日本の政治システムの限界性の現われだ。

各政党は有権者に甘い言葉をならべて支持を競う。有権者個人の立場から見れば、消費税値上げも、緊縮財政も、軍事基地の本土移設、福祉の切り捨ても反対に決まっている。甘い言葉ではなくて、日本の将来を考えた場合に国民各自が受け入れなければならない苦渋を列挙した逆マニフェストで有権者の支持を競い合うようにしたらどうか。そうしないと、大震災が起きようが、原発事故が起きようが、国家の債務が1000兆円を超えようが、常に政局的な思惑だけで発言する議員ばかりが跳梁している現在の国会の状況など見るに耐えない。

むかしであれば(あるいは今でも)、こうした状況になると軍部などがクーデターを起こしたりして強権政治を行う。日本では自衛隊のクーデターなど考えられないが、メディアに依拠した一種のファシズム的な政治の可能性は大いにある。小泉さんの政治やそのなごりの阿部晋太郎氏の政治などは、多少その要素があったような感じがする。逆マニフェストをお薦めしたい。

 私などはトルコの歴史と文化の紹介に取り組んでいるだけの一市民だが、ギリシャと言えばトルコと切ってもきれない逆縁の国で、ECへの加盟をかなり諦めつつあるトルコの経済はある程度好調なのに、ギリシャはあの体たらくなので、以上のようなことを考えた。

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児童公園の音楽家たち
 

 1835年にロンドンで出版された本の挿絵。オスマン帝国下のイスタンブルに、こんな児童公園まで開設されていたらしい。そこに音楽家たちがやって来て、ライブで演奏していたわけだから、なかなかナウい。女性たちの衣裳は、現代の日本人の目から見ればやや異様だが、彼女たちも音楽家の演奏に合わせて体を動かしたり、歌を口ずさんでいたとしたら、ますますナウいではないか。

 1835年というと、日本史の細かな年表でも特別の事件は記載されていないが、二年後には大阪で大塩平八郎の乱が起きたりしているから、そろそろ幕藩体制も煮つまり始めた頃。その頃、日本では子供のための公園をつくるというような思想はあっただろうか?

| トルコ文化研究所及びこのサイトについて | 17:25 | comments(0) | - | pookmark |
公園で祈る女
 

 信仰ということは、私とかみさんの間の主要な話題のひとつだった。彼女は熱心なクリスチャンだったから。結婚した当時は私にもクリスチャンになって欲しかったらしい。二人で教会にも通い、牧師さんの説教やいろいろな方々のメッセージにも耳を傾けたが、私個人はどちらかと言えば自然科学的な世界観・人間観に拠っている人間なので、結局、キリスト教的な信仰は現在に至るも受け入れていない。それでも、歳を取ってくると、生半可な知識より、人間の実存をまるごと感じ取る傾向が強くなり、生と死の間にあって宙ぶらりんの自分の心を落ち着かせることができるのか、ときどき不安に感じることもある。それで、今でも月に一度は聖書講読会に参加して、聖書の世界の言葉に耳を澄ましている。

 かみさんの方はトルコ民話の研究に夢中になってトルコに入り浸りになってから、教会には行かなくなった。彼女がムスリムになったのではないかといううわさがアメリカの知人たちの間で流れていたことも後になって聞いた。彼女の晩年に近い頃は、若い頃のようにむき出しの言葉で信仰について語り合うことはしなくなったが、ときどき、トルコでの旅行中に見かけた祈りの場面についての印象を語ることはあった。トラビゾンからシヴァスに向かうバスの窓から見た大草原の中で沈んでいく太陽に向かって両手を広げて祈っている羊飼いの姿が印象的だったそうだ。「要するに、信仰なんて自分と神様との関係なんだから、教会とかクリスチャン仲間なんて関係ないわよね」というのが、彼女のたどり着いた心境であったらしい。この公園で祈りをささげる女性も、そんな心境に達したかみさんの目にとまったのではないか。

| トルコ文化研究所及びこのサイトについて | 10:32 | comments(0) | - | pookmark |
縄つくりの女
 

 

 縄づくりなんか男がやればようさそうなもんなのに、女性が頑張っている。うちのかみさんがトルコのさまざまな村や町で描いたトルコの人々の暮らしぶりの素描の中では、男が頑張っている場面より、女性が頑張っている場面の方がはるかに多い。女性の目で捉えたから、このような結果になったのか、現実を反映しているのかは分からない。但し、パザールなどの場面を除けば、商売で頑張っているのは男性の方が多い。商売(商業)というのはイスラーム社会では伝統的に男性の仕事だったから、そのなごりも多少はあるのではないか。ただし、女性の参政権とか社会進出は、トルコの方が日本より早く、現在では、社会的な労働の場所での性差別はまったく感じられない。銀行の窓口などに若い男性がいて、奥の方に女性がデンとすわっている光景などはざらに見かけるし、医師とか大学教授として活躍している女性も多い。レストランの給仕などの接客業では男性の方が多く見かけられるが、これにはイスラーム社会の伝統が多少反映しているかもしれない。

 縄にちなんだ愉快なホジャ話がある。

 ホジャの家の近所になんでも物を借りにくる男がいて、ホジャも多少迷惑していた。ある時その男がまたやってきて

「ホジャさん、すまんが縄を貸してくれんかね」というので、

「あいにくだが、いま縄の上に粉をひろげてるので、貸すわけにはいかんね」と、ホジャはにべもなく答えた。

「えっ? 縄の上に粉をひろげるなんてこと、できるんですかい?」と男が言うので、

「なあに、貸しなくない時は、粉だってなんだってひろげられるさ」とホジャは答えたんだとさ。

 こんな話があるので『縄の上に粉を広げる』というフレーズは、一種のことわざみたいな言い回しで、よく使われている。

 

| トルコ文化研究所及びこのサイトについて | 17:30 | comments(0) | - | pookmark |
乗合馬車
 

 乗客は女性ばかりだが、これは男性と女性の乗り合わせはなかったから。現在のトルコでも、町中を走るドルムッシュ(小型バス)では、男性用の座席と女性用の座席が区別されている。それに男たちは馬やロバに乗って移動したから、馬車には乗らなかっただろう。こう考えれば、乗合馬車とは女性用のものだったと考えてよいのだろう。

 運搬用の馬や牛は、自分が子供の頃(終戦直後)では都心(世田谷区三軒茶屋付近)でもよく見かけられたし、戦争中に田舎に疎開した時は、牛の引く荷車に乗せられて眠っているうちに祖母の家に着いたこともあるから、この絵に描かれているような状況も、それほど遠い昔のこととは感じられない。

 馬の代わりに牛が引いている乗合牛車の絵もあるが、くどいから、それは紹介しない。ただ、現代のトルコの都会の中を走り回るドルムッシュは、こうした乗合馬車や乗合牛車から発達したものだろう。日本の路線バスとは違って、都会の路地の奥にも入り込んでいくドルムッシュは、「トルコ人が世界に誇れる発明だ」と誰かがどこかに書いていたのを記憶しているが、日本でもドルムッシュ方式の乗合タクシーを実現すれば、都市の混雑も解消されるだろうし、利便性も増すのだろうが、バス会社とか自動車メーカーとかタクシー会社とか、従来の方式にあぐらをかいている人々がその実現を阻んでいるのだろう。

 上の絵は、1851年にロンドンで出版された本の挿絵。たぶん、イスタンブルでスケッチされたものだと思う。

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金角湾の渡し舟
 

 1883年頃の金角湾の様子を描いている。言わば海上乗り合いタクシーみたいなもので、女性の客が多い感じだが、買い物にでも出かけているところなのだろうか。ただ、こうした絵を眺めていると、これまでに紹介したガラタ地区のさまざまな物売りや行商人、荷運び人足の姿と合わせて、十九世紀末葉のイスタンブルの庶民の暮らしぶりが少しづつ見えてくる感じがする。

1883年(明治16年)は、西南戦争が終わってから6年目。私の母方の祖母が生まれた年なので、それほど遠い昔のこととは感じられない。

| トルコ文化研究所及びこのサイトについて | 17:40 | comments(0) | - | pookmark |
村芝居


 たぶん、何か悪さをした若僧を男たちがとっ捕まえて、村のおばさんが拳骨を食らわせようとしている状景。これは村芝居の一場面なので、現実のことを描いているわけではない。これはトルバルという地方都市近郊のティレという村で見かけたもの。

 トルコの村芝居についてはあまり話を聞いていないが、テレビ文化が普及する前のトルコの村の文化については多少知識を持っている。特に『カラ・ギョズ』という影絵芝居がすばらしい。どこかの村(たぶん、イネギョルという町の近くの村)で見たことがあるが、ずっとむかし自分が小学生の頃に、小学校の校庭で見た『風の又三郎』の映画と同じぐらい感動的だった。

 テレビが普及すると、こうした文化が急激に衰えていくのは、日本もトルコも同じだ。その結果として起きる文化の枯渇、画一化、低劣化なども同様。

 
| トルコ文化研究所及びこのサイトについて | 08:34 | comments(0) | - | pookmark |
カフヴェ・ハーネ


 トルコでは男どもが集まっておしゃべりをする場所にチャイ・ハーネ(お茶屋)とカフヴェ・ハーネ(コーヒー・ハウス:カフェ)がある。チャイ・ハーネの方はホジャが生きていたとされる13世紀の頃にはあったらしいが、ホジャ話にはカフヴェ・ハーネのことは出てこないから、トルコの庶民文化の伝統としてはチャイ・ハーネの方が古そうだ。とにかく、トルコのおじさんたちはチャイ・ハーネやカフヴェ・ハーネに集まっておしゃべりするのが好きだ。たぶん、ホジャ話なんかも、こういう場所での男たちの座談の中で語られたのではないか。現代のトルコのいろいろな町や村で見かけた情景を通じても、男たちは日長一日こんな場所で座談にふけっているような感じがある。

 コーヒーの原産地については諸説あるようだが、庶民に広く飲用されるようになったのはオスマン帝国とみてほとんど間違いなさそう。時代は15世紀中葉(つまり、ホジャが生きていたとされる時代よりは後)。最初の頃は、宗教的な修道者の秘薬として用いられていたそうだから、現代人はありがたいものを飲んでいるわけだ。

 上の絵は1835年にロンドンで出版された本の挿絵で、港のそばのカフヴェ・ハーネ。景色から判断すると、場所は金角湾の奥のガラタ地区側ではないかと思う。絵の奥の方に、ローマ時代に建設された水道橋の遺跡が見えている。

 
| トルコ文化研究所及びこのサイトについて | 10:00 | comments(0) | - | pookmark |
パンを焼く
 

 かみさんは農村の婦人がかまどのあたりで働いている場面をよく描いている。さまざまな町や村の女性たちが家事にいそしんでいる様子が写し出されていて、トルコの人々の暮らしぶりがよくうかがえる。ほとんどの作品は1990年代に集中しているから、今から10年以上前のものだが、おそらく今でも庶民(特に村人)の暮らしぶりは同じだろうと思う。

 上の絵は、ボラトルというアンカラからそれほど遠くない村でスケッチ。

トルコの伝統的なパンにはイースト菌を使われないが、現在の都市部で消費されているパンにはイースト菌が使われているのではないか。都市部では町々に(それぞれの家庭から歩いて買いに行ける程度の距離のところに)パン屋があって、職人(ウスタ)がパンを焼いている。フランス・パン風のものが美味しかった。パンは買った当日に食べきってしまうのが習慣のようだ。私も買いに行ったことがあるが、新聞紙にくるんで渡してくれたのが嬉しかった

| トルコ文化研究所及びこのサイトについて | 17:51 | comments(0) | - | pookmark |
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